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インフルエンザの総説

(専門:医学的)吉利彰洋 up Y2K.jan

インフルエンザに関して
突如として発生して瞬く間に広がり、数カ月のうちに消えていく、咳と高熱の流行性疾患の記録はヒポクラテスの時代からあったといわれている。周期的に流行が現われてくるところから、16世紀のイタリアの占星家たちはこれを星や寒気の影響(influenza=influence)によるものと考えていた。我が国では「増鏡」に、「しはぶき(咳)やみはやりて人多く失せたまふ・」と書かれており、江戸時代には、「お駒風」「谷風」などと名付けられた悪性のかぜ(インフルエンザ?)の流行が見られたという。

1890年(明治23年)にアジアかぜが世界的に大流行した頃から、我が国ではインフルエンザのことを流行性感冒(流感)と呼ぶことが定着してきた。1918年には、スペインかぜが世界各地で猛威をふるい、全世界の罹患者数6億、死亡者は2,000-4,000万人にのぼったと推定されている。我が国には大正8年と9年(1919-1920)の冬に流行が持ち込まれ、罹患者は2,300万人、死者は38万人に及んだといわれる。当時の新聞には「流感の恐怖時代襲来す?一刻も早く予防注射をせよ?」という見出しが見られたと聞く。

インフルエンザウィルス
ヒトのインフルエンザウィルスは、1933年Smith,Andrews,Laidlow らによって初めて分離されたが、そのきっかけとなったのは、Shopeによるブタのインフルエンザからのウィルス分離であるといわれている。
ウィルス分離後はワクチンの開発研究も進み、1940年代に米国では不活化ワクチンが実用化された。現在用いられている、エーテル処理をして発熱物質などを処理し免疫に必要な赤血球凝集素(HA)を主成分としたHA型ワクチンが我が国で実用化されたのは、1972年である。

60年も前にウィルスが分離され、ウィルスの研究が進められ、ワクチンも早い時期から実用化され改良が続けられているにもかかわらず、いまだにインフルエンザは世界中いたるところで流行が見られている。また膨大な研究がなされているにもかかわらず、流行状況やその把握、感染と免疫のメカニズム、ウィルスが変異をしていく理由、予防方法などインフルエンザの基礎は、急速な進展を遂げながらも十分に解明されているとは言えない。あまりに身近な疾患でありすぎるのかもしれない。いまだに残されている最大級の人類の疫病といっても良い程のインフルエンザに対し、もっと多くの基礎的知識を集積し、十分な防疫体制を確立出来るように、我々は努力をする必要があろう。

インフルエンザウィルスはウィルス粒子内の核蛋白複合体の抗原性の違いから、A・B・Cの3型に分けられ、このうち流行的な広がりを見せるのはA型とB型である。A型ウィルス粒子表面には赤血球凝集素(HA)とノイラミニデース(NA)という糖蛋白があり、HAには15種の亜型が、NAには9種の亜型がある。これらは様々な組み合わせをして、ヒト以外にもブタやトリなどその他の宿主に広く分布しているので、A型インフルエンザウィルスは人畜共通感染症としてとらえられる。そして最近では、渡り鳥がインフルエンザウィルスの運び屋として注目を浴びている。

インフルエンザ・タイプ
A型は数年から数十年単位で流行が見られが、突然別の亜型に取って代わることがある。これを不連続抗原変異(antigenic shift)または大変異という。1918年に始まったスペインかぜ(H1N1)は39年間続き、1957年からはアジアかぜ(H2N2)の流行が11年続いた。その後1968年には香港かぜ(H3N2/HongKong) が現われ、ついで1977年にソ連かぜ(H1N1/USSR)が加わり、現在はA型であるH3N2とH1N1、およびB型の3種のインフルエンザウィルスが世界中で共通した流行株となっている。HAとNAは、同一の亜型内でわずかな抗原性をさらに変化させるため、A型インフルエンザは巧みにヒトの免疫機構から逃れ、流行し続ける。これを連続抗原変異(antigenic drift)または小変異という。連続抗原変異によるウィルスの抗原性の変化が強くなれば、A型インフルエンザ感染を以前に受け免疫があった人であっても、再び別のA型インフルエンザの感染を受けることになる。その抗原性に差があるほど、感染を受けたときの症状も強くなる。

なお1997年には、香港でトリ型のインフルエンザA/H5N1が初めて人から分離され、新型インフルエンザウィルスの出現の可能性として世界中の注目を浴びたが、幸いにも人から人への感染はなく、その後H5の人での感染は見出されていない。しかしすでにH3N2が30年、H1N1が20年連続している状況は、いつ新型に置き換わってもおかしくない状況であり、警戒が必要である。

疫学状況
突然に現われるインフルエンザは、狭い地域からより広い地域、県・地方・国を越えて流行があっという間に広がり、学校や仕事を休むものが増えてくる。医療機関では外来患者数の増加とともに、インフルエンザとは断定されないが、肺炎・クループ症状・痙攣・心不全・脳炎・脳症などの入院数も増加してくる。

わが国のインフルエンザは、毎年11月下旬から12月上旬頃に発生が始まり、翌年の1から3月頃にその数が増加、4から5月にかけて減少していくというパターンであるが、流行の程度とピークの時期はその年によって異なる。

1997年から1998年にかけてのシーズン(97/98シーズン)では、1997年11〜12月にはほとんどインフルエンザ様疾患患者の発生報告がなかったが1998年第3週から急激に増加、第5週では定点あたりの患者数は50人を超え、1987年に本疾患のサーベイランスを開始して以来最高の患者数が報告されている。しかしこれをピークに第7週からは報告患者数は低下傾向に転じ、10〜12週にかけて流行は消退した。すなわち1998年には極めて短い期間に爆発的に全国各地で大流行がみられてすぐに消え去ったという点が特徴的であった。分離されたインフルエンザウィルスのほとんど(97.9%)はA(H3N2)型で、抗原分析が行われたものの約半数は世界各地で流行がみられたA(H3N2)/シドニー型とほぼ一致するものであった。

98/99シーズンは、1998年の11〜12月に少数の患者発生がみられ、1999年に入ってから急速のその数が増加、第3から4週でピークとなった後に急速に減少傾向に転じた。しかし第6から9週に一時横這いとなり、第10週より今度はゆっくりとしたペースで第15週にかけて減少してゆき、全体の発生状況は97/98シーズンを下回るものであった。分離ウイルスは流行当初はA(H3N2)/シドニー型がほとんどであったが、1999年1月下旬より次第にB型が主流となり、3月にはほとんどB型に置き換わった。

98/99シーズンは、12月よりインフルエンザ様疾患の流行が始まり、1999年に入ってから急激に増加、第3から4週でピークとなった後に急速に減少傾向に転じた。しかし第6から9週に一時横這いとなり、第10週より今度はゆっくりとしたペースで第15週にかけて減少していった。流行のピークの高さということで見ると、97/98年の大きな流行ピークを下回る状況であった。流行の主流となったウイルスはA/H3N2(香港型)で、その抗原分析ではシドニー型と言われるものが大半を占めたが、後半の小流行はB型によるものであった。

インフルエンザの合併症、急性脳炎・脳症・肺炎
インフルエンザ流行シーズンには小児の急性脳炎・脳症の発生が多くみられることが近年小児科医あるいは臨床ウィルス研究者から指摘されるようになったが、感染症サーベイランスの患者発生状況の中からもこの点がさらに明らかとなってきた。また病原体サーベイランスにおけるインフルエンザウィルス分離状況の中からも、ウィルス学的にインフルエンザ感染が確定された急性脳炎・脳症例が地研の報告の中からも増加してきた。

インフルエンザ感染によることに高齢者における死亡などの問題が近年指摘されている。インフルエンザサーベイランス情報、人口動態統計情報などとの組み合わせにより、最近のわが国の超過死亡状況を推計し、1999年1月の超過死亡は過去最高で前年同期の2倍以上であったこと、インフルエンザ・肺炎により死亡したものの94%が65歳以上の高齢者であること、なども明らかになってきた。 インフルエンザの流行期には、「超過死亡」という現象が見られることが確認されている。超過死亡とは、その死因は統計上インフルエンザとされていないが、高齢者や基礎疾患を有するものの死亡率がインフルエンザの流行に伴って上昇する現象でありWHO(World Health Organization)や CDC(Centers for Disease Control and Prevention /USA)では、インフルエンザ流行の指標としてこの現象が採用されている。インフルエンザは「死亡することのある流行性疾患」としての認識が必要である。

診断・治療の進歩
発熱・頭痛・全身の倦怠感・筋関節痛などが突然現われ、咳・鼻汁などがこれに続き、約1週間で軽快するのが典型的なインフルエンザの症状である。その他のいわゆるかぜ症候群に比べて全身症状が強いのが特徴であるが、正確な診断にはウイルス学的な裏付けが必要である。インフルエンザ流行期にかぜ症状のあるものにすべてついて安易に「インフルエンザ」と断定することは、疫学状況を正確に把握し、ワクチンの効果を判定するに当たって誤解を生じかねないので、注意が必要である。 最近は、ベッドサイドもしくは外来などでインフルエンザ抗原を検出するキットが市販されるようにな人、一部は健康保険が適用されるようになった。コマーシャルラボなどでは、血清ウィルス抗体の測定が可能であり、ウィルス学的診断が日常の臨床の中で容易に出来るようになってきた。すべてのインフルエンザ様疾患者に検査を行うことは実際的ではないが、診断の裏付けとして重要な意味を持つ。咽頭拭い液やうがい液を材料にしウィルスの分離ができれば、診断としてはもっとも信頼があるが、一般的とは言えない。polymerase chain reaction (PCR)法を用いてウィルスゲノムを検出することも可能となってきたが、特殊検査の段階である。

インフルエンザウィルスに対する特異的療法として、抗ウイルス剤による治療が挙げられる。抗A型インフルエンザ薬であるアマンタジン(Amantadine)は、A型ウィルスの表面にあるM2蛋白に作用してインフルエンザウィルスの細胞への侵入を阻止し、抗ウィルス作用を発揮する。インフルエンザBに対しては無効である。我が国では、アマンタジンは臨床的に評価された精神活動改善作用から、抗パーキンソン剤あるいは脳梗塞に伴う意欲・自発性低下の改善を目的としてこれまで使用されてきたが、1998年12月抗A型インフルエンザ薬として認可された。 現在(1999.12)、インフルエンザウィルスのノイラミニダーゼの作用を阻害することによって細胞内で感染増殖したウイルスが細胞外に放出されることを抑制することによって抗ウィルス作用を発揮するザナミビル(Zanamivir)が、認可申請中である。A、B両型に対して作用する。


追記2001.02 経口薬タミフル(燐酸オセルタミビル)と吸入薬リレンザ(ザナミビル)が認可された。

予防方法(予防接種)
現在用いられているインフルエンザワクチンは、エーテルでウイルスを処理して発熱物質などとなる脂質成分を除き、免疫に必要なウイルス粒子表面の赤血球凝集素(HA)を密度勾配遠沈法によりHAを回収して主成分とした、HAワクチンといわれる不活化ワクチンである。ワクチンに含まれる有効な抗原量は、わが国ではHAによって示されるニワトリ赤血球凝集単位(CCA)であらわされ、その抗原量は800CCAと定められてる。WHOでは、世界から収集したインフルエンザの流行情報から次のシーズンの流行株を予測し、ワクチン株として適切なものを毎年世界各国にむけて推奨している。

我が国では、毎年インフルエンザシーズンの終わり頃にWHO からの情報および日本国内の流行情報などに基づいて、次のシーズンのワクチン製造株が選定され、製造にとりかかる。現在はA型のH3N2とH1N1およびB型の3種のインフルエンザウイルスが、世界中で共通した流行株となっているので、原則としてインフルエンザワクチンはこの3種類の混合ワクチンとなっている。

1999/2000シーズンには、A/H3N2としてSydney、A/H1N1としてBeijin(北京)、B型としてShandong(山東)が選択された。

附記2000/2001シーズンはA/H3N2パナマ、A/H1N1ニューカレドニア、B/山梨である。

インフルエンザワクチンによる副反応については、軽度の副反応、すなわち局所反応が10%程度、発熱など全身反応が1%以下である。死亡あるいは生涯にわたりハンデイキャップとなる副反応の発生は、予防接種被害認定などの調査に基づいた調査では100万接種あたり1件に満たない。残念ながらゼロではないが、この数字は、現在広く用いられている他のワクチンに比べやや少ない程度で、特にインフルエンザワクチンが安全性が低いと言うことはない。

昨1998/99シーズンにインフルエンザに関連して死亡したと推定される高齢者の数は人口10万人あたり21人(超過死亡数)、インフルエンザ脳炎・脳症で死亡した子どもたちは100〜200人に及んだ。

今後の展望
インフルエンザに対して科学的な予防方法として世界的に認められているものは、現行のインフルエンザHAワクチンである。インフルエンザによって具合が悪くなることを防ごうと思う人、インフルエンザによって重症化が予想される人およびその周辺にいる人々に対しては、ワクチンは積極的に勧められる予防方法である。

より良いワクチンへの改良開発は当然必要であり、投与回数・投与法(経鼻投与など)・アジュバントの工夫・生ワクチン・人工膜ワクチンなど、新ワクチンの研究が進められている。

死亡率の減少などとともに次第に「インフルエンザはかぜの一種で大したことはないもの」という認識が我が国では広まってしまったが、決してそうではなく、国内でも地球的規模で見ても、インフルエンザは十分な警戒と理解が必要な疾患であり、流行に伴う個人的・社会的損失は大変に大きい。

また新型インフルエンザウイルスの出現は必至である。これに対する警戒を怠ってはいけないことも強調しておきたい。
以上 IDSCのインフルエンザ総説2000を参考に追記しました。洋彰庵(吉利)

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